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昭和の三重系紀州犬 [狩り犬]

 昭和30~45年頃、まだ型のよい三重系が一志谷や飯高のかばた谷、には実猟で飼育されていたが、大方は血統登録無しの犬゛て、血統書のついた紀州犬はまれにしか飼育されていなかつた。
 猟能は、ずば抜けて良い性能の犬で、血統書では、獅子はとれん、とよく言われ、猟師の心理は、型犬と獣犬に分けていて、血統登録犬は高価と飼育に苦労すると言うことで、系統的保存と交配には、無関心、ともかくイノシシを捕れる犬は雑種である方が気楽に使える、駄目なら次の犬を入手すれば良い、とする軽い猟師がおおかつた。
 良型でイノシシを多く捕れる犬は、希にしか見られなかつた、紀州犬を求めるなら宮川の明豆か、栗谷の小倉系が、と言うことであつた。
 一志谷の美杉や多気村にも猪捕りの名人がいて、あそこの犬を分譲してもらつたら、と言うわけで、良型の紀州犬は、全く見られず、その猟犬達は、雑種としてスピーッやビーグルボケが重宝された時代、昭和35年頃、雑種の中に高知犬の血の濃い雑種が良い仕事をし、イノシシの多く捕れる犬として飼育していた。
 当時、猪の値段は、目百文という表現で表し、丸で一キロ¥1,000円ほどで取引されていた。
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